「IE問題の解決」2005年8月改定
大きな改定部分

第1部 問題解決の問題(2頁)
「問題解決の問題」の哲学を研究する分野を示す一般的に認められている名称がありません。問題学とでも言うのでしょうか、英語ではProblemologyとかMeta-problem-solvingといった言葉が当てはまるかもしれません。少なくともIEの分野においては、問題解決の問題についての研究は、本書を執筆している段階では皆無です。言い換えれば、ほとんどの研究者が特定の分野の問題の解決を意図した手法の研究に従事していて、実際の問題解決の場で起こる困リ事は何なのか、何故問題は存在するのか、問題解決をうまくやるにはどうしたらよいのかについて、真剣にとりあげた研究はありません。
 少なくとも、日本ではこのテーマは工学分野の研究テーマとして認められ難く、歓迎はされません。工学分野の中心的思考過程においては自然科学の方法を用いることが必要条件です。IEの問題解決過程では人間が中心になります。人間はまた組織に属しています。複数の人間が関係する問題解決の過程に自然科学の方法だけを厳密に適用することは無理であり、大学の研究室で研究することは不可能なことです。
私のこれまで40年のコンサルティング・スタイルは「特定の問題を短期的に解決する」ようなものではなく、丁度ホームドクターの立場と同じ様なもので、月1回の訪問でクライアント企業の一般的な問題解決能力と問題解決の質を向上させるために援助するというものでした。当然、数多く(1回に5〜10テーマ)の実際の問題を題材にしながらこれを行ないます。従ってこの方法は、クライアントが参加するという条件の下で、クライアントにとっても経済的なやり方でした。従って、このやり方ではコンサルティングは定常的に継続します。長い企業では35年も続きました。月1回の訪問で、問題を持った人々が自分の問題を自分で解決するのを援助し教育するというやり方を取る過程で、何千という多種多様な問題に直面することができました。そしてそれらをいろいろな側面から長期的な視点で観察する機会を得たことが、私に問題解決過程にたいする強い関心と特別な視点を持たせてくれました。
世界中の企業の多くで未だに、IE活動はIE専門家主導の段階にとどまっています。この「問題解決は専門家に任せるべきだ」という考え方が、好ましくない多くの二次的な問題を派生させています。私は組織の中の人間であっても、問題の所有権は個人にあると考えています。私が本書で強調したいことはこの点に有ります。問題解決を全体的な視点でとらえて、解決すべき価値のある問題が本当に存在するのかを慎重に吟味し、関与する人達が充分動機づけられているのかを確認し、採用するアプローチと方法に効果が有るのか予測し、更に、得ようとしている結果が回りの人々や外的環境に対して及ぼす影響に付いて総合的に検討する必要が有ると考えています。
IE問題は一般の問題に比べても、決して特異な問題では有りません。従って、IE問題に適用できる考え方は一般の問題解決にも適用可能です。本書の内容は私がこれまでに出会った多くの問題解決状況から抽出したものですが、根本的な側面は社会一般の問題解決に適用可能だと信じております。

第2部 問題解決のアプローチ的側面(22頁)
問題解決の中核をなす部分は、問題解決者の意図と問題現象を考慮しながら、問題状況を深く理解しそれを構造化して、具体的な解決方法を選択する過程です。多くの人々が問題解決に失敗する最大の理由は、彼らが与えられた問題をそのまま鵜呑みにして解こうとしてしまい、与えられた問題がよい答えを保証し、しかも組織の究極の目標に合致することを、まず初めに確認しないからです。個人が自分の問題を自分で解決しようとした場合でも同様なことが言えます。初めに思いついた問題を吟味することなく解決しようとすれば、上述の場合と同じことが起こります。
問題には所有者が存在します。問題解決者が問題解決に先だってまづ考えるべきことは、問題所有者は誰であるかということを明確にし、その所有者が問題解決活動の結果の最終責任をとろうとしているかを確かめることです。問題の定義は考慮する時間と空間によって変化します。問題の定義が変化すると同時に問題の所有者も変わります。
従って、問題解決状況において最も大切な第一ステップは問題発生の基礎となっている「究極の理想」と「認識された現実」の間のギャップを含む時間的空間的範囲を、問題状況の中からうまく切り出すことです。これは無数に定義可能な問題状況の時間と空間を仮に一組想定して、それに対応する所有者を明確にして、仮に定義された問題が望ましい答えを保証するかどうかを考えるのです。考え付く答えが望ましくないものであれば仮に限定した時間と空間を変えて、また対応する所有者を明らかにして、そこから得られる問題の定義が良い答えを保証するかどうかを考える、という過程を繰り返すのです。
多くのIE問題解決状況では問題の所有者は問題解決者では有りません。IEという学問はこの矛盾の中から生まれてきたのです。その結果、IE問題はIEの専門家が主導権を握って解決されるのが常識となってきました。私の主張は、問題の所有者が自分で自分の問題を解くのが一番良いということです。しかもそれは実際に不可能なことではないのです。新興工業国によって日本の産業の存在が脅かされています。日本の産業がその優位性を保つ方策のひとつは、現場の問題解決能力を世界最高のものに保つことです。
日本で成功した企業の多くの成功の秘けつのひとつは、彼らが私の主張に一致する方向に、改善活動を実施してきたからです。IE専門家に改善活動を限定してしまうことは、改善結果の広がりを限定してしまうことを意味しています。経営がうまくいっていない企業が、問題解決の場でやってしまう間違いの一つは、良い手法さえ見つければ問題解決はうまくゆくと考えてしまうことです。もっと遅れた企業がよくやることは、成功した企業のまねをすれば良いと考えてしまうことです。また、優秀な人材を抱えていながら、失敗をする企業の最大の理由は、採用する手法が学問的に高度で、理解するのが難しければ難しいほど得られる効果が大きいと考えたり、採用する手法が高価なものであれば有るほど得られる効果が大きいと信じてしまうことにあります。ここに問題解決におけるアプローチ選択の重要性があるのです。

第3部 問題解決の価値的側面(56頁)
私の知るかぎり、IE関係の著書の全ての著者が、IE問題の解決に役立つ手法について論じてはいますが、価値の問題には触れていません。私は価値観を意識しない問題解決は、問題解決過程が不完全になると考えています。少なくとも、それは民主的な国家で行われる問題解決ではないと考えています。私の問題解決過程は私の価値観で誘導されています。従って、本書は私の価値観を読者の皆さんに紹介しているもので有ると言えます。一般社会の問題解決においては、目標(価値)をどう定めるかの問題を避けて通ることはできません。しかし、IE問題の解決に当たって、IEは単に手法の集合体であると割り切ってしまえば、独自の目標設定の問題、あるいは与えられた目標の吟味の問題は発生しません。
IEは歴史的に長い間、与えられた企業問題を与えられたなりに達成する為の手段を提供したり、解決策と思われるものを提供してきました。しかし、経営者が企業目標を達成しようとしながらも、目標達成に適合しない改善目標を設定する場合もありえます。問題の範囲の取り方は、目標の決め方によって大きく影響を受けます。従って、この場合目標の方向性が間違っていなくても、問題解決活動が成功しない場合があります。高い目標を短期間に達成することは出来ません。多くの人を巻き込まなければならないプロジェクトを狭い範囲の人間だけで完成させることはできません。これらの場合、目標を修正する必要が有ります。
私はコンサルタントとして、経営者が経営の最終目標と矛盾する間違った目標を設定して、IE部門や私に問題解決に取り組むように要求した場面を多く目撃しました。またあるいは、複数の経営者の間で達成すべき目標の間に矛盾がある場合を実際に見てきました。さらに、近年になって、IEが取り組むべき問題の範囲が広がってきて、関与すべき人々(企業外の人々を含む)の間の価値の軋轢がある場合にも直面してきました。このような場合経営者ですらも、目標をどのようい定めたらよいかが判然としない場合もありました。このような経験から、IE問題の解決においても、価値の問題の処理は避けて通れないのではないか、いやそれどころか、価値の問題を避けたIE問題の解決はありえないと考えるようになりました。この問題は、長い間われわれの先輩達によって避けられてきました。私はこのことが、IEそのものが有効な手段であるのにもかかわらず、その有効性ほど社会的に評価されず、社会の問題解決に活用されなかった原因ではないかと考えます。
また、問題解決の時間と空間を考えた時に、問題解決は一回限りのものでよいのか、それとも継続的なものにすべきなのか、という命題が有ります。一般には問題解決は一過性のものだと考える傾向があります。私は本書において、問題解決は継続的なものであるべきだと主張します。この価値の問題と問題解決の継続性の問題をとりあげる点が、本書が他のIE関係の著書とは違う点であり、私が本書を書こうと決心した理由であります。そして、価値とは何か、価値は誰が決めるものか、を考えた結果、問題の所有者という考えと、問題の次元は時間と空間とそれに伴う価値の三つだということの重要性に気がついた訳です。

第4部 問題解決の技術的側面(112頁)
本書はIE手法についての解説書ではありません。それどころか、基本的な手法の理解をしている読者を前提にしたもので、手法の役割、手法の価値、手法の使い方についての哲学的考察をするものです。
問題解決に経験の浅い経営者やIEの専門家は問題解決において一番大切なことは、問題に最も適した手法を見つけることだと思い込んでしまいます。このことは十分条件ではないばかりか、必要条件でもありません。直面する問題に対する適切な手法の理解は望ましいことではありますが、問題を正しく定義すること、関与者の間での問題の理解が一致していること、関与者の間で採用される手段と得られる結果につての理解があること、関与者の間で問題を解決したいという気持ちが高まっていることも同様に重要なことです。
手法をあたかも万能薬のように考えて、盲目的に適用するくらい無駄なことは有りません。むしろ、自分が直面する問題の解法を自分で工夫しながら見つけようとする態度を私は評価します。時間があれば、仕事をしながらいろいろな方法を徐々に確かめて見ることもできます。それをするうちに既製の解法があることに気付いて、必要に応じて使って見るのが望ましいことです。
手法の盲目的な適用が何故起こるかというと、企業が問題解決に能動的に対応する準備ができていないため、問題を解決するための時間が無いことに尽きます。日頃から常に問題解決能力を養う努力をせず、問題が起こった時に即席に局所的な解決を望むからです。言い換えれば、経営者が結果のみを重視し、過程(プロセス)を重視しないからです。過程の正当性の吟味を重視し意識的な過程の改善を定常的に行い、望ましい結果は望ましい過程から生まれると信じないからです。手法の盲目的適用が何故いけないかといえば、手法の多くは沢山の前提条件の上に成り立って開発されています。それを理解しないで適用すれば、望ましい結果が出ないばかりか、大きな犠牲を払うことになりかねません。特に大きな(多くの場合、アルファベットの組合せで作った名前を持つ)ソフトウエア・システムを導入する場合は注意するべきです。これらの大きなシステムはシステム開発やコンピュータシステムに関する充分な経験のある企業が採用すれば役に立ちますが、そうでない場合は悲劇的結果をもたらします。
本書においては、手段と目的の関係に関しては、あくまでも目的が先で手段はその為にあるから、常に目的を意識しながら手段を選択すべきで、目的達成以上の結果を手段に期待しないようにすべきであると主張しています。そして、手法を使うことが目的にならないようにと戒めています。ところが、このことが成り立たないような事態が最近発生しています。近年の基礎技術の驚異的発達が、時として手段(デジタル技術)が目的(例えば電話の通信)を思いもかけない方向に変えてしまうことを可能にします。このようなことは、手段の可能性があまりにも早く出現するので、目的の範囲を想像することが追い付かないだけであって、あくまでも目的を大切にして手段を選択することを勧めます。


第5部 問題解決の人間的側面(222頁)
生産性を上げることを目的にしてIEは、作業を細かく分析して、その価値を生む有効部分の比率を上げ、さらにその有効部分の時間を短くするといったアプローチで成功してきましたが、組織全体を見渡すという視点を持ちませんでした。その視点で見ると、問題は人と人の間にある壁にあると気づくでしょう。そして、その壁を堅固なものにしているのは、人間の自己中心性にあると思えます。どっち道IEは人間を扱うのが商売ですから、人間の内面までたちいった視点をもってもよいでしょう。
 IEは人間を働き手として捕らえる基本的は考えから、その効率を上げるための方法論として生まれてきました。その結果、「標準人間」という概念が生まれました。これは物理学の「完全剛体」や経済学の「経済人」の概念と同じで、多様な現象を単純化して取り組むための第一歩です。その結果,多くの基礎的な理論が生まれてきました。標準時間や標準作業という考え方もその例です。この標準時間を測定尺度として人間能力を最大限に活用するための多くの管理的な手法が生まれました。
 現場の作業者が標準人間として働いている過程で標準作業の所有権を回って,IEの専門家との軋轢が生じました。改善のために作業方法を変更する権限はIEの専門家にありました。ところが、人間には心があります。自分のしている作業は自分のものだという感情が生まれました。ここにラインとスタッフの関係が生じてきました。また、作業成果をできるだけ多く出して欲しいと考える経営者側の要請で、種々の動機付けの問題が発生しました。これらの問題は、人間を理解する必要を生みました。
 さらに近年、人間の知的能力が開発され,経済力が向上し、プライドを持つようになってきました。徐々にではありますが人間を単なる労働力としてのみ扱うのではなく、知的な活動をする存在として扱うことが求められてきました。改善活動を少数の専門家のみによって処理することはできなくなってきました。それどころか、現場の人間に改善を期待すると、専門家では思いも付かないような内容の質が高い改善が生まれてきました。その上急速に発展する経済が生産性向上の質も量も速度も高度なものを求めるようになってきました。改善活動のような知的な作業には「標準人間」という概念は当てはまらなくなってきました。むしろこれらの現場の従業員に対しては「改善人間」(仕事の達成のほかに改善を当然の責任として期待できる人間)としての期待が高まってきました。
企業間、国際間の競争が激しくなってきた昨今、IEの専門家が取り組む問題も生産現場から、物流、販売、開発と広がり、長期戦略問題にまでも確実な広がりを見せてきました。それぞれのどの現場でも改善は無くてはならないものです。仕事の内容が知的に高度なものとなると、もはやIEの専門家だけではとても処理できないものになりました。それぞれの専門職の人々が自分たちの問題を改善できるように、援助する仕事が発生しました。その仕事はアドバイスの提供や手法の開発と言ったのもになるでしょう。

第6部 問題解決の組織的側面(282頁)
効率向上を阻む組織の問題は個人の問題よりもやっかいなものです。それは組織という人工的な壁が人間の間に立ちはだかり、邪魔をするからです。そのために個人の自己中心性(個人エゴ)をはるかにしのぐ、階層中心性(階層エゴ)という問題と部門中心性(部門エゴ)という問題が起こるからです。これらの縦横の壁が、近代的な組織構造として登場してから100年近くなります。その間に人間の能力も権利意識も変化しました。そして、それが組織効率の邪魔になりだしました。ちょうどそれは、近代的な組織運営の考え方として生まれた官僚主義が、方法を厳密に規定してかたくなにそれにこだわることによって、封建的な制度を打破し、封建的社会を改革するすばらしいイアデアとして歓迎され、社会に多大な貢献をしてきたにもかかわらず、知的レベルが上がり、民主化が進み、技術進歩が進み、経済が発展してきた今日の社会からは、方法にこだわることがむしろ制約となって、非効率を生む元凶として槍玉にあがっていることを知れば理解できます。
 上記の壁を打ち破るものとして最近華々しく登場したのがITでした。この技術はそれらの壁をいともたやすく飛び越えて、点と点を瞬時に結び付けてしまいます。その効果は組織内にとどまることなく、世界中のどの点とも接続可能になりつつあります。その進歩と普及の速さは、まるで手段が目的を支配しているようにも見えます。
改善の仕事はIEの専門家にまかせるという組織体制も、時間が経ってIEが定着してくると不都合が起こります。それは、上記の官僚主義の衰退とまったく同じ理由でIE問題解決権ともいうべきものの所有権が専門家から非専門家に移るからです。本書ではこのことを、スタッフとラインの協力関係の型としてとらえ、スタッフ主導型の段階、チーム型の段階、ライン中心型の段階として、問題解決権の移動がスタッフからラインに移る様子を説明します。そしてこのラインとスタッフの協力形態は組織全体に「画一的に」当てはまるものであると説明しています。しかし、実際には、このことが当てはまるのは現場が参加する改善活動が比較的狭い範囲にとどまっていて、必要な技術も簡単なものである場合に限定されることが段々分かってきました。
 IE活動の対象範囲がひとつの工程の問題から、工程間の問題、情報システムの問題、工場全体の問題、物流システムの問題、管理業務の問題などへと広がって行き、それに伴って適用される技術も高度になって行くにつれて、ラインとスタッフの関係も使い分けなければならなくなります。つまり、本章での説明はラインとスタッフの協力関係の成熟度の段階を指すものとして説明しますが、実際はそのような単純で静的なものではなく、取り上げる(直面する)問題の難しさと関係があるのです。すなわち、組織が徐々に難しい問題を経験してゆく過程で、その場その場で採用される協力形態も、使い分けながら成長してゆくものなのです。したがって、問題の難しさ、特定の組織の問題解決能力、問題解決過程で採用される協力関係の間には関係があります。最適な協力関係をどのようにして選択すべきかが今後の研究課題です。


小さな改定部分

(28頁): 下から6行目「前節で」を「前章で」に変更。
(32頁): 図の上の2行にある{「身体の動作」「工具・作業場・設備」「工程」「設計」「原材料」}の順を逆にして{「原材料」「設計」「工程」「工具・作業場・設備」「身体の動作」}の順にする。
(107頁): 下から3行目と2行目の「今のアメリカ・・・・一目瞭然です。」を取る。下から2行目の「経済的にいっても」の「にいっても」の代わりに「観点から見ても」を入れる。
(154頁): 図表11・1の右端丸の中の「変換」を「生産」に代える。
(156頁): 下から2行目の「作られている過程で」の前に「ものが」を入れる。続く文章の「ベッタリものにへばりついて」を取る。その代わりに「は、ものと情報が離れないようにして、」を入れる。
(165頁): 図表12・1の中で「供給責任」が二つありますが、右の「供給責任」を「生存責任」に代える。