第一話 「斎藤さん物語」
斎藤さんは工場での現場管理者を長年勤めて定年になり、子会社の植林会社の専務になりました。この会社は親会社の広大な土地を利用しながら、植木の手入れや植木の育成や庭作りをする会社でした。したがって、利益が沢山でるような会社というよりは会社の資産を管理しているような、現場の人々の退職後の受皿のような会社でした。

彼は親会社在任中、生産効率向上に大変貢献した人でした。本来工場長になるべき人でした。私の意見では工場長はおろか、取締役になってもらいたかった人でした。そうすれば彼は現場の人達の希望の星になります。あれだけやれば認められてあそこまで行けると皆が思い、かつ納得したでしょう。実際この会社ではかつて生産現場から成長してゆき工場長になり、取締役になった西村さんという人がいました。この時は現場の人々から拍手喝さいで迎えられました。

それでは、なぜそうならなかったのでしょうか?答えは簡単です。斎藤さんは大学へいっていませんでした。西村さんも大学を出てはいませんでしたが、彼はおとなしくじっと耐える人でした。斎藤さんはおかしいことがあればそれを口に出して上の人に食ってかかる人でした。彼は会社中の現場から尊敬されていました。それは彼がスタッフが何日もかかってできないような改善を簡単にやってのけたからです。たとえば、どうしても3人かかって運転しなければならない機械を、2人で操作できるように重要な部分を自力で自動化してしまいました。そして後にそれを、1人で操作できるようにしてしまいました。

彼が下請会社に着任早々親会社の人をびっくりさせるようなことをしでかしました。あいつが、またやったかでした。彼がしたことは夏の社員旅行にバンコク4泊5日を打ち出したことでした。彼は社員に対して「いつも近いところに一泊旅行じゃつまらないだろう。どうだ、海外旅行でもして見んか。」と持ち掛けたのです。だれも反対する人はいませんでしたが、と同時に、このはなしが実現すると思ったひとは一人もいませんでした。

彼は着々と計画を進め、そんなある日主だった人々にいいました。「いくらなんでも商売柄全員でゆくわけにもゆくまい。どうだ半分づつ行くことにしたら。それで問題があるか?」と聞きました。皆がいいました。旅行期間ぐらいなら、半分の人間で十分仕事はこなせるから心配はないといいました。計画は実行され、会社始まって以来の大プロジェクトは大成功でした。怒ったのは親会社でした。従来の費用を500万円もオーバーしてしまいました。

皆さんはもうお分かりでしょう、この話の結末を。

彼はそんなことには一向におかまいなく、熱心に仕事をしていました。彼が熱心にしたことは仕事をどんどんとってくるということでした。従来の仕事量をはるかに越える仕事量でした。だれかが彼に尋ねました。「こんなに仕事を増やしてどうするのですか?大丈夫ですか?」と。彼はいいました「いや、そんなに増やそうとしているわけではないよ。ただ従来の倍にするだけだよ」と。「半分の人間で従来の仕事量をこなせることを皆が証明してくれたから、そうするだけだよ」といいました。結果はすごいことになりました。売上が倍になり利益は3倍になりました。500万円の追加旅行費用など問題ではありませんでした。現場の人々は「おやじにまたやられた」と思っただけでした。

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