第七話「そこをうまくして」
私は子供の頃空想少年でした。流れる雲を見ながら、「あの雲にロープを引っ掛けてぶら下がったらさぞ気持いいだろうなー」といったことを、ひっきりなしに言っていました。その都度あきれた顔をした友達から「そんなこと、どうやってやるんだい?」と、からかわれ続けていました。私の返事はいつも決まっていました。「だからさー、そこをうまくやってさー」でした。しまいに、私は皆から「そこをうまくやっての川瀬」というあだ名をもらいました。私にしてみれば、夢は実現性とは関係なく存在するものでした。

大人になるにつれて、この空想癖が、他人と同じ事はしたくないという願望に育ってゆきました。と、同時に、何故外の多くの人達は私のように夢を追わないのか不思議でなりませんでした。IE問題の解決をすることが仕事になった現在、この空想癖が大いに役立っています。それどころか、この空想癖がIEに興味を持たせたのかもしれません。画期的なアイディアは決して現在から未来を見て出てくるものではなく、未来から現在を見ると出てくるものです。この時に夢が役立つのです。

コンサルティングの仕事の上で、私が大切にしていることは、できるだけ、当事者に自分で目標を立てさせて、自発的に問題解決をさせるというのがあります。どうしても、他人からもらったアイディアでは迫力がありません。つまり、当事者自身が、自分で高い目標を立て、それをなんとかして実現したいと思ってもらわないと困るのです。中には、上司や私と波長が合って、上司の方針や私のヒントに飛びついて来る人がいます。目標を達成したいという願望が強ければ、方法などはどうにでもなるものです。問題が難しければ制約条件を打破するアイディアと手間が必要です。それには、時間が重要な役割を果たします。アイディアをしばらく寝かせたり、勉強したり、失敗したり、実験したり、人まねをしたり、できることからやっていったり、タラレバ分析をやったり、専門家の意見を聞いたり、素人の意見をきいたり、いろいろします。でも、なんとかなります。

ところが、どうしても、この方針に食いついてこない人達がいます。それどころか、そういう人達の方が圧倒的に多いのです。確かに組織の方針と深い関係があり、組織が官僚的であればあるほど人々は新しいことをやりたがりませんが、それだけでもないようです。どうしても、夢が出てこなかったり、夢をもつことを恐れる人がいます。 そこで、なんとかして高い目標に挑戦するように仕向けたいと思って、宿題をだしたりヒントをだしたりして、当事者自身の口からアイディアがでるように仕向けたりします。それでもだめだと、手段に関するアイディアまで指定して、あとは実行するだけのヒントとして与えて、その実現性をチェックさせても、次に会うと、出来ない理由を山ほど用意してくる人がいます。言われた通りにやってみたけれども、どう考えても実現可能性はないというデータが出てきたりします。やる気のある人は少しでも可能性があればそこを追求しますが、やる気がなければ、やらないための理由を一生懸命探してきます。こういう人のことを、私は「仕分名人」と呼ぶことにしています。与えられた問題群をやらない方向に仕分けるのが名人という意味です。

賢明な読者の皆さんはもうお分かりでしょう。

どうやら、この傾向は個人特性のようです。その個人に「ひと山当ててやろう!」という気持ちが強くあるかないかのような気がします。最近になって、この傾向に対して遺伝子レベルでの個人差があるのではないかということが提起されています。特に、日本人と西洋人の遺伝子のなかに「人のやらないような高い目標への挑戦傾向」の差があるという見方です。心理学の方でも、右脳型の(ヒラメキ型で発散的な考え方をする)人と、左脳型の(批判型で緻密な考え方をする)人とに分離することが提起されています。これが本当なら、皆さんはこの問題をどう処理したらよいと思いますか?。もしも「一旗」組と「慎重」組に分けられるのなら、誰が何型かをオープンにして、両者を組み合せて使うしかないのではないでしょうか?

あるいは、目が輝くようなアイディアは日常性の中からは生まれてこないとすれば、日常性と非日常性の間のスイッチを切り替えて使うような訓練をしなければなりません。

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