第九話「古い身体に新しい脳」
事務機械の消耗品を販売している商社がありました。親会社であるメーカーから供給される純正消耗品は品質もよく使い勝手もよいのですが、価格が比較的に高いために、ノーブランドの廉価商品に押されて売上が落ちていました。当然、それらの品質には数段の違いがありましたが、それが気にならないユーザーには人気がありました。その商社は熟慮の結果、ノーブランド商品も扱うことにしました。
容易に想像できるように、それ以来、その会社のユーザー・クレーム処理担当者の頭痛の種が増えました。それは当然のことでしたが、苦情が正当なものなのか不当なものなのかを判別する仕事が難しくなったのです。純正部品だけを扱っている時は、明らかに判断のつかない部品は少なく、それが発生した時は、商品を預かって親会社のメーカーに送り、1週間以内に判断が下され、ユーザーの機械の不良か商品の不良かが判断されていました。
そこで、担当者は彼お得意の分析を始めました。その結果、どうやらノーブランド品を供給している商社の品質判断能力に問題があり、商社からの判断期間が指数分布をしており、平均が1週間で最大3週間もかかることが分かりました。仕入価格が安いだけのことがあり、いくら交渉しても供給元の商社の対応は悪く、ユーザーからの不満は高まるばかりでした。
この会社は世間的には管理のしっかりした会社であると見られており、品質管理や環境管理の規格を満足していて、顧客満足度を極めて重視する方針を打ち立てている会社でした。

賢明な読者はもうお分かりでしょう。

今回の問題は易しすぎたかもしれません。クレーム処理担当者は新しい仕事をこれまでの仕事の延長としてとらえてしまい、自分の仕事はいかに間違いなくクレーム処理をすることであると思い込んでしまっていました。お客と対面してクレーム処理をすることをフロントエンドの仕事と呼び、自分で判断の付かない判断の問題を処理をすることをバックエンドの仕事と呼ぶとするならば、この二つをつながったまま処理をしようと思い込んだところ、すなわち仕事の構造のとらえ方、に問題がありました。顧客満足度を重視する会社であれば、この二つの仕事は独立なものとして切り離すべきでしょう。フロントエンドでは、客の有利になるような処理をしておき、バックエンドの仕事の改善には無数の案が考えられます。

本稿の目的はこの問題に改善案をどう出すかではありません。何故このようなことが起こってしまうのかを考えることです。顧客満足を謳っていながら、現場ではちっともそうなってない会社がいくらでもあります。明らかに、スローガンを掲げ、マニュアルを作っただけでは問題解決にはなりません。環境、資源、顧客満足といった価値の追求は、多くの場合、企業の売上や利益を減じる方向に作用します。そのため、これまで売上や利益を至上の達成目標としてきた人々にためらいを感じさせます。まして全体像が見えない一つの仕事の場で、しかも古いやり方になじんでしまっている人々に、新しい価値観を肌で感じてもらうことは不可能に近いことです。

社会的な観点で見ても、社会の美徳の基準(の優先順位)を変えることは容易なことではありません。そもそも、企業は「世のため、人のために」始めるものでした。その段階では、環境、資源、顧客満足は当然のこととしてうけいれられたでしょう。それが、いつの間にか社会のルールの範囲であれば、際限無く自分の利益を追求してもよく、それが社会全体のためにもなっていました。現在の状況は、その昔に帰ろうというものです。ただし、そのための新しいルールはまだ完成していません。手探り状態です。はっきりした行動規範も美徳の基準も国民ひとりひとりに浸透してはいません。

このような状況下で、企業の行動を変えるためには、単なる概念、言葉、スローガンだけでは十分ではありません。トップマネジメントが先頭に立って行動し、苦痛に耐え、自分がやってみせ、前例を確立し、新しい価値をビジブルにし、達成の喜びを共有しなければなりません。前掲の例は単なる笑い話ではないのです。深いところに原因があるのです。

あなたの会社のトップはこのことを先頭に立ってやっているでしょうか?。

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