第十七話「翻訳のミスよ永遠に」
昔仏教が印度から中国を経て日本に入ってきた過程のどこかで、「悟り」という言葉が「究極的な認識の世界」というように訳されてしまったが、実は「悟り」とは「一時的な認識上の安定状態」なのだと聞いたことがあります。従って、悟りきった高僧が自分の死期を知ってうろたえても可笑しくないのだそうです。この事の真偽は確かではありませんが、IEの世界でもこんなことがあります。このことを指摘されている藤田彰久先生の論文を紹介します。

ドライバーと木ねじを用いて、穴の開いた板を組み立てて、箱を作っている仕事があったとします。その工程で作業者が終始忙しく働いていれば、工程分析的に言えば(あるいは作業設計的に言えば)、この工程はOperationと分類されます。しかしこの工程の仕事をより詳細に見ると、価値を生んでいる部分とそうでない部分に再分割出来ます。すなわち木ねじを締めている行為が価値を生んでいて、後は板を運んだり位置決めしたりしています。更に木ねじを締めている部分を詳細に見ます。すると、木ねじを取って位置決めをして、ドライバーを木ねじに差し込んでいる部分と、ドライバーが木ねじを回している部分とに分けられます。当然、ドライバーが回っている部分が価値を生んでいます。しかし更に、ドライバーが回っている部分を見ますと・・・・・。

もう、賢明な読者はもうお分かりでしょう

ドライバーが回っている部分も良く見れば、ドライバーの最後の半回転が価値を生んでいて、それ以前は木ねじを難しいやり方で移動させているに過ぎないわけです。これからが、本題です。

藤田先生の文献によれば、財やサービスを産出するための目的的活動は大別してprocessing(以下英文字のPで表す)とhandling(以下Hで表す)に分類されます。生産の場では、この二つの現象しか起こらないと考えることができます。前者は対象とするもの(物)に直接価値を付加する機能であり、後者は物の時間的空間的効用を高める機能であります。その上、この関係は階層構造になっていて、高いレベルでPとHに分割されたPそのものが、次のレベルでは更にP1とH1に分割され、更に再分割されると、そのP1がP2,H2に分割される、といった関係にあります。同時に、下のレベルから上のレベルを見ることによって、生産の構造的枠組みの本質を知り、「改善連鎖」の質を高めることができます。

このHのことを「もの作りのば場」では、「物のH」つまりマテリアル・ハンドリングというのです。世間ではこの「マテハン」を単に「運搬」と訳してしまっています。本来のmaterial handlingとは違った意味で理解されてしまっているのです。

皆さんは工程分析記号のDのマークをご存じのはずです。これは逆三角が「貯蔵」であるのに対して,貯蔵より時間的に短い(一時的な)「停滞」と解釈されている場合が多いのですが、実はこれも違うのです。
これは「計画されなかった停滞」を意味します。予定どおりではなく「遅れている状態」は全てこの範ちゅうに入ります。おそらく、貯蔵、停滞と訳してしまったことから、日本語の意味から停滞する時間の長短で区別する定義が派生してしまったのでしょう。「計画的停滞」、「突発的停滞」とでも訳すべきだったでしょう。

参考文献:藤田彰久著「生産文化論」関西大学出版部刊、1999年3月

藤田彰久著"生産管理と生産の意味について"関西大学商学論集第42巻第3号、1997年8月発行。

戻る