第三十一話「事業仕分けの組織的側面」(カイゼンをする政府の提案)
1.IEから見た事業仕分け
その昔、日本産業界にIEが導入された直後、まだ社内には専門部署が確立されていることは稀であったので、社外からコンサルタントが招聘されて、専門家の目で仕事の効率を評価し改善案を提案するのが常でした。この方法の欠点は社外の人間と批判の的にされた社内の人間との間に生じる情報的、感情的なギャップでした。
この状況は現政権による事業仕分けに似ているところがあります。大きく違う側面は、仕分けでは仕分けをする方が正義で、される方が悪者扱いを受けていることです。そのために両者の間にはしばしば対立関係が生じているようです。ここでの、評価基準は(1)成果目標の達成価値と(2)成果達成の経済的効率です。(1)と(2)の積が総合評価値です。さて、その後の日本のIEはどうなったでしょうか?

もう賢明な読者にはお分かりでしょう

外部の人間によるエキスパート・アプローチは評判が悪く、経済的にも高くついたので、社内にIE専門家を置き仕事の合理化を進めることが一般的となりました。これを私はスタッフ主導型と呼びました。このやり方は、同じ組織の人間同士という意味では仕分けよりはうまく行きましたが、させる人/させられる人という関係が対立を生み、理想的なものではありませんでした。その結果、次に生まれたやり方は、私がチーム型と呼ぶやり方でした。スタッフとライン(問題の所有者)がチームを組んで問題解決を一緒にすると言うやり方でした。この段階になると、コンサルタント会社もやり方をチーム型に代えました。
現在のIEが進んだ企業では、ライン中心型(あるいは現場中心型)と私が呼ぶ方式を取っています。ここでは問題解決、改善目標達成の責任は全てラインにあり、スタッフの仕事はラインに求められた時にのみ専門的あるいは人的援助をすると言うものです。このやり方では、予算の執行部門が自らの責任で(2)に責任を持つことが当たり前になっております。所謂、仕事のデザイン段階から最善の方法論を問題の所有者自らが追及するわけです。
話しを主題に戻しましょう。上記のようなやり方を政府の予算作成段階から採用し、執行過程でも環境変化に応じて経費を改善して行くことは出来ないものでしょうか?私の前の原稿で示した、1963年にケネディー大統領がアメリカ予算局にIEを導入し、ワークウニットの考えを用いて予算を論理的に決定した例があります。
私の提案は、時間が掛かっても良いから、日本政府にIE活動を導入しようと言うものです。私がアメリカにいた頃は軍隊にIEを教える学校がありました。これはAMETA(Army Management Engineering Training Academy)と呼ばれるものでした。競争がないと改善活動が根付かないと主張する人がいるかもしれません。それならば、地方行政団体から始めてはどうでしょうか?地方行政団体同士が改善活動で競争してはどうですか?世界に冠たるIEを持つ日本が、最も必要とする国の活動にIEを導入しない手はありません。

2.政治活動にIEを導入する困難さ
政治に明るい人は、上記のコメントに対して、お前のナイーブ(無知鈍感)な発想の前にはどれだけの難関が待ちかまえているのか分かっているのか、と言われるでしょう。全くその通りだと自覚しています。しかし、昨今の政治情勢を見ていると素人の私が何かを言いたくなる衝動に駆られます。以下にその素人の発言をいたします。
国の予算編成の課程では、与党野党の党利党略有り、圧力団体有り、利権有り、癒着有り、で理論的でない部分が多くあるでしょう。その上、“誇り高く”優秀な官僚が立てた案には誤謬はないとする“官僚の無謬性”と言う通念があるようです。私が若い頃、ある国際的な教育プロジェクトの責任者を20年間やったことがあります。初年度予算の中に計算間違いを見つけ、早速霞ヶ関に修正するように報告に行ったところ、担当課長から「役人は間違いをしないのです」と言われ、追い返されました。その結果毎年間違い分だけ多い予算が付き仕事がやりやすかったことを覚えています。このような場で、経済合理性追求のために科学的な方法論の導入を期待することは難しいかも知れません。
また予算委員会や本会議での予算審議の過程では、予算の効率性追求のための論理的な議論のやりとりよりも、党利党略も込めた対立政党や政治家の様々な疑惑解明の議論が優先され、予算そのものの審議がそっちのけになる場面を見ても、問題の優先順位の低さに驚かされます。
競争社会で生き残ろうと真摯にIEを導入している業界側でも、お国の予算の「おいしさ」に便乗しようとする傾向があります。これも私の昔の経験ですが、公共事業を受注した生産現場が、原価調査員を前にして、改善前の古い作業方法を再現して作業をする現場を見て、改善のお手伝いに訪問していた私は震え上がったことがあります。
 それでは政治の世界には永遠に科学的方法による原価管理が不可能なのかどうかを、産業界での改善に対する抵抗が生まれ、それが消滅した課程を振り返ってみます。変化に対する抵抗は、日本にIEを導入定着させるための最大の問題点でした。私はそれを16のカテゴリーに分類しました (「IE問題の解決」228ページ図表16-2参照)。初期の段階では、仲間からの逸脱の恐れ、所属団体への忠誠心、偏狭な個人主義が抵抗を生み出す原因でした。序々に原因がスタッフとラインの間の感情のもつれに移行して、昨今では役割期待の不一致、手段の理解に関するものと変化してきています。
これらの抵抗が生まれるにはその背景にある企業環境や経営方針が影響します。初めに、未来志向で理想に向かって経営する企業がまずIEを取り上げました、好景気のさなかに更なる優れた経営体質を求めた企業群でした。次に、近い将来経営的危機が来ることを予測した企業が続きました。それらは企業体質を予測する管理力に優れた企業群でした。最後に、国際競争に代表されるような、企業間競争への対応が遅れて現実に赤字になってから慌てる会社のように、危機に直面してからIEを導入した企業が続きました。最終的には、IE活動が定着した企業では、改善は会社のためにも個人のためになると受け入れられた結果、変化に対する抵抗は問題ではなくなりました。

3.IEは必ず必要になる
さて、政治環境に於ける「変化に対する抵抗」はどのような原因から生まれるのでしょうか?私には、裏社会の利害関係、仲間に対する忠誠心、などが思い付かされます。しかし、むしろ変化に対する抵抗を許している政治環境の方により問題がありそうです。前述したように、危機意識のない社会では構成員が自分勝手になるものです。国営企業がこのよい例です。国家予算がもっと逼迫してきて、最低限実現したい政策が実現不可能になる時が必ずやってきます。どうしても「挙国一致で」克服しなければならない切迫した事態が起これば、限られた資源の問題を解決するために、科学的な方法論に頼らなければならなくなると考えます。
そのような事態が起こることを想定して、今から準備をしておく必要があると考えます。その意味では、未熟さや的確性に欠ける面はあっても、現在行政刷新会議が行っている「事業仕分け」をしっかりやって行くのが良いと考えます。そこから自然に予算編成の段階へのIEの導入が始まることを期待します




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