IE技法の役割を再考する
要旨
 わが国のIE活動が極めて活発であるにもかかわらず、新しい画期的な技法が報告されることは稀である。それどころか、トヨタ生産方式ばかりが目立っている。世界をリードする日本の産業界の実情はそれほどお寒いものだろうか? そうであるとすれば、IErが創造的な仕事をするためには何が壁になっているのだろうか? IErが創造的になれない最大の壁は、トップマネジメントの志の低さにあり、IErに責任のある問題ではない。したがって、一部優良企業では優れたIE活動を見ることができるが、その成果は秘密にされていて発表されていない。企業間でビジネスプロセス開発競争がいずれ始まれば、優れた技法が多く発表される日がくると考えられる。

1 問題意識
 仕事柄お伺いした企業の人からよく聞かれる質問があります。「わが社と同じ問題に直面している外の会社ではどうやっているのですか、あなたは多くの会社を見ているだろうからそれを教えて下さい」という質問です。IEの問題に直面する多くの会社が取る姿勢はこんなものです。コンサルタントとしての私の創造性に期待などせず、単に便利屋(あるいは情報通)としての私の情報を利用しようとしているだけです。一般の会社は問題が手っ取り早く解決すればよい、世間並みの答えが見つかればそれで満足なのです。
 IErを持っている企業でも、雑誌、テレビ、セミナー、工場見学を通して外部の情報を早く多く取り入れようと努めます。流行りものの手法を物まねしても、もともとその手法が生まれた経過にまつわる前提条件や組織風土が違えば、思ったような成果が保証されないのに、それ程気にも掛けません。まったく同様な現象が、アルファベットの組み合せの名前を持つ高価なソフトウェアを導入している会社に見られます。それどころか、その結果、目を覆いたくなるような大きな損害を受けても気がつかないでいる会社をよく見受けます。したがって、多くの企業は、世間に先駆けた先進的な方法論を研究して、競争相手に先んじようなどと考えたりはしていません。

 ここまで読まれた読者のなかには、「これはわが社のことを言ってるのではないか」と考えられている方が多くおられると思います。世界的には進んでいると思われている日本の産業界も実情はこの程度なのです。私は講演会やセミナーで、参加者に対して「あなたは、これまでに直面した問題がうまく解けなかった理由は何だと考えていますか?」と尋ねることにしています。答えは、恐らく読者の貴方が考えていることと同じでしょう。「よい方法が見つからないから」というのが圧倒的多数の答えです。

 問題解決が難しい理由は、もっと外にあるのです。与えられた問題は解く価値があるものなのか? 外にももっとよい問題は無いのか? この問題は皆が目を輝かすようなやり甲斐のあるものなのか? この問題は長期的な得に繋がるものなのか? 必要な事実が集められるのか? などなど、即座に問題解決行動に移る前に、考えなければならないことがあるはずです。つまり、技法を考える前に、目標が明確でなかったり、責任の所在がはっきりしていなかったり、関係者のやる気がなかったり、問題を構成する事実が明確に把握されていなかったりすることを、懸念する方がより重要なことなのです。

 問題解決すなわち適切な技法の発見、というメンタリティーは、これまでの学校教育の弊害です。ひとつの問題にはひとつの答があるという固定観念を持つように訓練されてきた人は、IEの仕事に最もふさわしくない人です。IEの仕事ではひとつの問題状況には無数の問題が定義可能であり、それぞれ定義された問題には無数の答があることを知るべきです。技法はその過程で問題を理解し易くしたり、答えを整理する道具なのです。



 上記のことを図表1で説明します。正常な問題解決過程では、問題に技法を適用する以前に、問題意識が形成されなければなりません。そのためには「理想の明確化」と「現実認識」が必要です。人間の行動の原動力は「情動」です。「どうしても、こうあるべきだ」、「こうありたい」、「これは大変だ」という気持ちは、高い理想あるいは厳しい現実の認識から生まれます。「情動」が強ければ強いほど、「やろう」「やってみよう」という「意欲」が沸いてきます。そして、具体的な問題のイメージが浮かんできます。問題意識が生まれると、問題の定義、再定義を繰り返して、問題解決過程に入ります。もし、考えられた技法がうまく適用できなかったら、その技法が確立された過程の根本に返って修正すべきです。ここに技法教育の価値があります。学校ではこの過程しか教えません。



 図表2に、この問題意識形成過程をもう少し詳細に説明します。通常我々は、問題を探そうとして生きているわけではありません。しかし、何か違和感を感じるようなことが起こると、漠然と何か変だなと感じます。そのことから何か不便を感じたり、将来に起こる不都合さを予測すると、これは問題だと感じるようになります。しかし、まだアクションは取りません。それが、対象とする事柄の性質や環境変化によっては、これは何とかしなければならないならないと感じるようになります。しかし、この時点でもこれは自分の問題だとは意識しません。誰かが手を出すなら反対はしない、といった程度です。ところが、何かのきっかけでこれは自分が解決しなければならないと思うような事態になることがあります。そして、どうすればよいかを考えます。このあたりから、問題解決過程と重なってきます。

 問題意識形成過程には、さまざまなタイプがあります。上に説明したタイプを「自然発生型」と呼ぶことにします。2番目は、何か変だなと思う間もなく、あるいは、自然発生型を放置すると、事件が起こってしまい、疑う必要もなく問題であると認めざるを得ない場合から出発するものがあります。事故が起こった、競争相手が先手を打ってきたなどです。思考過程の外部から情報が入ってくる形で問題意識が発生するというものです。これを「事件発生型」と呼びます。このタイプは追いつめられた事態で発生するので、まずくすると、もっと困った状態に至る場合が多いものです。3番目は、「目標設定型」と呼ばれるものです。問題を認識した問題の所有者が、どうすれば良いかと考える段階で、部下を呼んで解決を命じるというものです。このタイプには自然発生型から始まるものと事件発生型から発生するものとがあります。4番目は、「技法適用型」と呼ばれるもので、人気のある特定の技法(あるいはソフト)が存在していて、何が何でもそれを使いたいと決め打つ場合です。

 多くの問題は問題の所有者(最終責任を取る人)が解決者ではありません。問題の所有者である上司が部下あるいは専門部署(多くの場合IE部門)に解決を求めます。したがって、問題解決を任された者は問題意識形成過程の途中から、「問題ありき」で出発します。それが事件発生型の場合は時間が限られます。手早く答を出すためには「なぜ?」という質問は許されません。その結果、いきなり頃合いの技法を探してきて、技法適用過程に入ってしまうというというわけです。このような場合でも、問題解決者は解決を依頼した人の問題意識を始めの段階まで戻って整理して理解する余裕を持つべきですし、問題解決依頼者は「問題ありき」ではなく、自分の問題意識がどのように形成されたかを説明するのが望ましいことです。

 しかし、問題が自然発生的に出発し、問題所有者が高い理想を持っていたり独創性に執着があると、問題解決過程にまで踏み込んできます。そうして、「理想的解の直感的イメージ」を示します。「段取りを5分でやれ」、「調整なしで一発で立ち上げろ」という具合です。賢い上司は必ずその後に「その代わり、失敗することを恐れるな」とか「責任は俺が取る」とか言ってくれます。問題が難しく適用可能な技法がない場合もこのルートを通ります。つまり、このような場合には技法が後から生まれてくるのです。

 問題認識から技法適用過程に一足飛びにたどり着くのは、本来のIErがすることではありません。最悪のケースでは「技法どおりにデータを取り、図表も作りましたが、この先どうしたら良いでしょう?」という質問を受けることがあります。「貴方のねらいは何ですか? 答えのイメージはなんですか?」と聞いてしまいます。IErがこのような考え方をするのは、あながちIErだけの責任とは言えないのです。それは経営風土そのものの影響なのです。「コストを下げろ」という問題を与えられても、制約条件、思考や行動の自由度、時間的余裕、資源的余裕、を明確に与えられていなければ、効率的で創造的な問題解決はし辛いものです。

 独創的な技法は、既存の技法の改良からは生まれません。強いニーズと独創へのこだわりから生まれます。トヨタの人に聞いた話ですが、トヨタが1個流しにまつわる諸技法を開発した裏には、その昔トヨタは資金に乏しく、1台のトラックを売ったお金で、次に作るものの部品を買わなければならないほどひっ迫していたことがあり、そのために自然に1個流し的発想が生まれたというのです。お金を遊ばせないという強い信念から生産現場での局所的な最適性の追求のみならず、時間と空間をもっと広くとった、最適性の追求を優先したというわけです。

 時間と空間の広がりが価値観の変化を生み、部分最適化から全体最適化(より広い範囲の部分最適)を意図した手法が、生まれたというわけです。IEの問題は作業工程の問題から工程間にまたがる問題へ発展し、工場全体から物流を含む問題に発展し、さらに全社的な視点でのコストから利益へと発展するものです。現在ではさらに、地球的視野での環境と資源の問題へと広がりを見せています。そのたびに、新しい技法が求められるというわけです。それをリードするのは、IErではなく経営者です。
 
2 勝ち組企業の特徴
寂しい論調でこの原稿を書きはじめましたが、わが国にはもっとまともな企業もあります。我々に希望を与え、我々に見本となる風土を持ち、我々の手本となる活動をしている企業も多くあります。激しい環境変化のなかで、トップマネジメントが一貫した価値観を持ち続け、生き延びてきた企業に共通な点を、以下に説明します。

イラスト/斉藤善行

(1) グローバルな視野で問題をとらえてきた
 常に企業の活動の場を地球規模の場に求めて、公平な競争のなかで生き抜こうと努力してきたこと。これができなくて敗北した業界の代表例に金融業を上げることができます。地球規模を相手にすることができさえすれば、それよりも大きな場は当分ありません。人が世界的な視野で多様な価値観のなかで公平に生きるためには広い視野、教養、経験を必要とします。

(2) 社会に対して誠意を持って対処してきた
 企業活動は「世のため人のため」にあることを、究極の目標にして経営をしてきたこと。このことは利益を出すことこそが経営の最終目標であると考えるのが、間違いであることを意味します。これができない企業の特徴は、官僚性の強い企業です。利益を出すことが「世のため人のため」より優先されなければならないならば、会社は潰してしまうべきです。そういう会社はいずれ潰れます。昨今、「コンプライアンス」などという言葉が流行っています。このことを、悪意に満ちた解釈をすれば、「罰せられなければ、罪を犯したことにならない」から、法に触れないように、注意深く行動していれば、「何をしても構わない」と解釈できます。

(3) 「ものまね」をしないで、経営をしてきた
 常に理想を描き、理想から現実を見つめ、部下が共感し目を輝かすような理想を提出し、一歩一歩それに向かって近づいてきたこと。できるだけ、人まねはしたくないとこだわること。このことは、製品やサービスの開発のみに当てはまることではなく、経営のやり方の決定やソフトウェア・システムの採用や開発においても同じです。独自性を大切にして、創造的なやり方に執着するトップマネジメントの下では、失敗しても他人にはできないアウトプットを志向した仕事は評価されます。理想が描けない、あるいは部下に感動を与える目標を提示できないような人は、トップマネジメントとしては失格です。
 このことには、付加的な説明が必要です。何ごとも始めから独創的であることは不可能です。学ぶということは「まねぶ(真似る)」という言葉から派生している通り、経営活動が成熟するまでの過程では「まねぶ」がなければなりませんでした。しかし、今日のように世界的な視野で見た場合、すでに成熟した日本の経営社会ではいつまでも「まねぶ」をしているようでは生き延びられません。

(4) 現場の意見をよく聴き、現場をよく見て回った
 現場の視点を大切にして、そこから生まれてくる意見や出てくる事実を大切にし、自分の目で現場を何度でも見つめ、事実の前に謙虚である経営をしてきたこと。毎日毎日現場からは重要な情報が上がってきます。それらは、理想に関するものであったり、事実に関するものであったり、アイデアに関するものであったりします。トップの席にいては聞こえません。お金を稼いでいるのは現場です。その現場にはいろいろの問題やいろいろな事実やアイデアが転がっています。現場に行かなければ見えません。直接行かなければ自分の頭に入ってはきません。トップが行かなければその下の人間は行きません。人間は自分に与えられた範囲の問題しか、解決しようとしないのが普通です。現場の人間に命令したことだけをさせているのは、高級なロボットを雇っているようなものです。人はそれぞれが計り知れない問題解決能力を持っています。この能力を経営に生かさない手はありません。

(5) 過程の合理性を重視した問題解決をしてきた
 経営活動の結果だけを見つめるのではなく、過程を見つめ、それを改善し続け、科学的な方法を駆使して過程を改善してきたこと。経営活動の過程を科学的に見つめることは地道な活動です。勉強しただけでは駄目かもしれません。会計の仕事がよい例です。世間の常識に合わないルールに出会って、おかしいと思っても、それが法律で決まっていれば誰も疑いません。しかし、それに気づいた外国が基準を変えてきたら従わざるを得ません。つまり合理性とグローバル性の問題です。おかしいと思ったことは、おかしいのです。ただ、他人が作ったり外国で生まれた方法論を、新しいから、難しい数学を使っているから、よいものだとうのみにして、盲目的に適用するのはだめです。それでは物まねになってしまいます。
 上記は、結局トップマネジメントの価値観がしっかりと定まっている企業が成功する事を意味します。「IEの役割は、(1)で捉えた問題に取り組み、(2)と(3)の態度を貫き、(4)と共に(5)を実現すること」と定義してもおかしくありません。だとすれば、IE活動に対するトップマネジメントの価値観の影響がいかに大きいかがわかります。

3 ことの本質
 読者のなかには「物まねのどこが悪いのだ」と言われる方がおられると思います。極めて定形化された問題で答が分かっている問題に、決まりきった答を適用するのは医学の場と同じです。そのような問題はIErが出て行かなくても処理できます。いわゆる、民間療法ですからIErは啓蒙運動をしていればよいのです。しかし、世間に知られた技法でも、適用される企業の風土や技術力や経済力によって盲目的な適用が害になるものは沢山あります。その点では、IErは技法の限界を勉強し、技法適用の経験を積む必要があります。

イラスト/斉藤善行

 わが国の産業界が厳しい競争にさらされているのに、生産改革活動が期待したほどに進まないのは、IE活動の進歩が遅いからであるという意見があります。本誌の編集部が今回の企画を立てた背景には、このような考えがあってのことだと推測できます。確かに、IEを50年やってきた私もそう思います。しかし、世界的視野に立って日本のIEの進歩を見る時に、格段日本が遅れているとも思えませんし、盛んに我々を追い上げている開発途上国もいまだに武器は低賃金です。だから、もっともっと今の内に、差をつけておかなければならないという意見には一理あります。あるいは、日本のIEといえばトヨタ方式ばかりが目立って、それ以外のものが出てこないことへの焦りからかもしれません。ここでは、日本のIE活動の発展速度をさらに上げて進ませるためにはどうしたらよいかについて論じようと思います。

 わが国の生産改革活動の多くがうまく結実していないとすれば、それはひとえに経営者に原因があるというのが私の結論です。経営者が前章の5項目、とりわけ(3)独創性と(5)科学的合理性の追求へのこだわりを持っていれば、それなりの活動が起こっているはずです。生産革新活動を進めようと、決めることは誰でもできます。しかし、それを独自な視点から独自な考え方をし、その結果新しい分析技法を打ち立てるためにはマネジメントの価値観が強く影響します。よく、生産改革活動において、「IE部門が革新的でなく、だらしがないからうまくいかない」というお叱りを受けることがあります。IEは魔法の薬屋ではないのです。経営者がもっと科学的方法にこだわり独創性を高く評価するならば、IErもそれなりの結果を出すと思います。

 しかし、私は失望はしていません。前章で示したとおり着実に効果を上げている企業が沢山あるからです。効果を上げている会社は自分たちの成果の多くを発表していないのです。これからは、経営過程(プロセス)の改善の競争になります。管理技法は特許を取ってもあまりメリットがありません。勢い、秘密主義になっていくと思います。しかし、これも悪いことではないでしょう。秘密にするほど、よいものができるのですから。しかも成果が沢山上がれば結局は漏れ出てくるのです。競争になれば、IEの質も自然と上がってくるでしょう。しばらくは、経営者の実力向上待ちといきましょう。

 経営者だけを責めても仕方がありません。新しい手法がなかなか生まれてこなかったり、問題への取り組み方が下手だったりするのは、IErの責任でもあります。IEr個人の資質は組織の持つ伝統によって決まります。長い間IEを守り育ててきた企業には、それなりの精神が宿っています。伝統を打ち立てるということは意識的にやらなければなりません。IE活動が伝統になるまでやって下さい。IE活動の質を高めるために必要なことは、IE活動を研究的な態度でやることです。大学卒業生は、卒業研究でやったやり方を思い出して欲しいのです。卒業研究で学んだやり方が、実務の場では忘れ去られている現実を多く見るのは悲しいことです。また、IE活動にIEを適用しないのはおかしなことです。大いにIE的にIEをやって下さい。そこから、新しい技法が生まれてきます。中央研究所にIE研究者が居てもよいではないですか。それをイメージしてやってみて下さい。

 IE活動活性化のための啓蒙とIErの知的レベルの向上のためにIE協会はよくやっていると思います。本場のアメリカと比べても日本の方が優れていると思います。また、見学会や年次大会での事例発表や講演会も充実していて、日本のIEの発展のために大きな貢献をしています。それらは、学会で発表される論文が実用的な価値を生まないのを補填しています。そこで、過去4年間に受賞したIEレビュー誌の論文27編をざっと読んでみました。告白しますが、私は毎号のIEレビューをパラパラとしか見ていません。論文賞が1件しかありませんでした。生産物流のマネジメントをシステム的に手順化したというもので、これまでのリーン生産の考えを独自の考えで集大成したものとして、読者にとってよい参考になる文献でした。その他の文献を次の6分野(重複を含めて)に分類しました。それらは多い順に、技法の工夫、新分野へのIEの適用、IE活動の活性化、組織(特に縦割り組織)の改善、ITの適用によるIE活動の改善、海外でのIE活動の報告となりました。すべてが読者の参考になる力のこもった「皆さん、私のやったことを読んでくれ」と言う声が聞こえるような報告でした。

 事例の報告として、私の知る範囲では、これらに勝るものは外国にはないと思いました。まさに、日本の産業界の宝物ではないでしょうか。「トヨタ流」改善一色の心配はありませんでした。IE誌を毎号パラパラと見ている段階ではそんな心配をしていましたが、まったくそのようなことはなく、多岐にわたるIE適用事例の文献でした。制約理論やAPSなど有効な計画技術が導入されつつあります。しかし、これらを実現可能にする根底にある技術は改善の技術です。今後も多くの多岐にわたる改善事例の発表を期待しています。

 IE協会の貢献の後ろにある貢献者は、大会運営に携わり、雑誌に投稿し、見学工場を提供し、ボランティアで各種の委員会などに貢献してくれる企業の皆さんです。皆さんは愛するIEのため、日本の産業界の発展のために努力を惜しまないのです。IEにはそれだけの潜在能力があり魅力があるのです。IEが我々に与えてくれるものは感動なのです。改善することは感動することです。感動することは美しいことなのです。

 学会は学位のための形式に徹している点で、現在のところ、実用的な存在価値は認められません。これも経営者が「管理技術によって優位性を実現したい」というニーズを持てば、いつの日にか産学協同という形で存在価値が出てくるかもしれません。大学の教育も技法だけに偏らず、実社会における問題解決のスキルを教えることが多くなれば、企業でのIEの活動形態も変わってくるのではないのでしょうか。

4 日本のIEに期待すること
 IEを教えている学科のある大学が、IEの実務をするプロを育成することを目標に掲げているとするならば、IEの技法ばかりを教えるのではなく、IEという仕事のプロセスを教える必要があります。そのためには経営における改善(あるいは改革)活動の位置づけを教えるべきです。改善は、自然科学とは違った要素である人間の心理や行動を含んでいます。したがって、この点を考慮した「問題解決学」とでも言うべき分野を教える必要があります。そこでは、人間が自分や他人や組織の問題を解決するプロセスはどうあるべきか、特に問題解決における価値観というものの存在をどう処理すべきかを考える必要があります。価値の問題を教えずして技法を教えても無意味です。価値の問題は技法として教えるほど単純ではありません。

 さらに、改善を達成するために活動組織をどうまとめ、改善をどのように生み出していくのかを教えなければなりません。これは「改善学」とでも言うべきものです。おそらくケース・スタディが有効な教育方法でしょう。IE活動を成功させるためにIEが持つべき倫理的理念、改善を動機づけるための心理学、IE活動をする上で突き当たる課題にどう取り組むべきかを教えるべきでしょう。上記の分野に対しては、学生向けの適切な教材がないことを認めざるを得ません。したがって、これらの分野は極めて重要な研究課題でもあるのです。

 前述しましたが、日本のIEの発展のために貢献している組織体は日本IE協会を除いてはないでしょう。私は昭和34年から銀座にできたばかりの日本IE協会に入り浸りでした。あそこに行けば恐らく日本にただ1冊だったろう「Journal of IE」が手に取れました。それ以来、協会が果たしたIEの普及に対する貢献は偉大なものがあります。なかでも、「IEレビュー」誌を発行し続けたことは驚異的です。競合であった日本能率協会発行のIE誌は発行部数も読者数も多く、内容も優れていました。しかし、IEの人気がなくなったある時点で廃刊になってしまいました。「IEレビュー」は何とか生き残りました。

 最近の「IEレビュー」の編集者には敬意を表します。内容が充実していて、企画もタイムリーです。事例が豊富に載っている点では恐らく世界中どこにも例がないと思います。私の若い頃は勉強のためにも教材のためにも、事例がまったくないのには参りました。事例は実務者にも研究教育者にも有用だと思います。学会論文誌のように必要最低限度の説明が、形式のために載ってるのでは実務の役に立ちませんから、できるだけ紙面を提供して詳細に報告されるのが良いと思います。事例の発表だけに止まらず、研究論文も充実してきました。「IEレビュー」誌が諸大学から認知されてきた昨今、論文の審査機関としての権威を持つに至っています。実用的な論文に権威を与えた点は、ひとえに編集者諸君の努力のたまものです。実用を意図した研究をしていながら、学会から論文の価値を評価されていない研究者が、もっとIE協会の活動に参加されることを期待します。また繰り返しますが、「IEレビュー」誌に加えて、IE協会が行う年次大会での発表や見学会、講演会やセミナーなどの啓蒙活動が日本のIEの発展に大きな貢献をしていることを称賛します。

 今後のIE協会の活動に望むことを述べます。IE活動あるいは全社的改善活動を定着させ、活性化するためにどうすればよいかというテーマで特集を組んだり、企画のなかに常に意識的に考慮していただきたいということです。思い出すのは、’60年代のアメリカIE誌に「Chief IE's Forum」という記事が何回にも分けて載ったことがありました。これは当時アメリカで優れたIE活動をしていたUAL, IBM, Kodak, P & G, などのIE部門のチーフが自分たちの活動を組織、活動形態、テーマ、成果、教育の観点から紹介したものでした。この記事のお陰でアメリカの多くの企業のIE部門が啓発されました。私にも非常に勉強になり、その後その企業の全部を訪ねて話を聞き感動したのを覚えています。印象的だったのは「IEは間接経費である」、「しかしこの間接費は1ドル使えば4ドルになって企業に貢献するから大いに活用すべきである」と聞かされたことでした。日本でIE部門の長を集めても、その人たちの本来の専門や職位寿命の短さから良い成果は得られないでしょうが、探訪記事や企業内のIEの神様あるいは貢献者を捜し出して、座談会や論文を書いていただくことはできるのではないでしょうか。

 最後に、IErの皆さんに繰り返しお願いします。IE活動を研究的な態度でやって下さい。研究というと暗く辛いイメージが付きまといますが、難しいことを言っているのではありません。答えを探す時に少し範囲を広げて答えのなさそうなところも含めて探す癖を付けて欲しいのです。例えばAはBに影響を受けて変動する確率が高いと考えたとします。望ましいAの値を得るためにはBを1から5までの範囲を探せば十分と思ったら、Bを−5から10まで変化させてみるとか、さらにひょっとしたら関係があるかも知れないCとDも考慮に入れておくとかして、調べてみる癖をつけるのです。ただそれだけで研究的な態度の第一歩が踏み出せます。すでに優れた企業ではIErがIE問題の研究を始めています。

 編集者の企画意図は技法の進歩に関する論壇であったのかも知れませんが、IE技法の発達はIE活動の活発化の結果に付いてくるものであると信じて、考察の範囲を広げました。

参考文献
[1] 川瀬武志『IE問題の解決』日刊工業新聞社(1995年)

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