プロトタイプレス生産の理想像
IEにはやり残した未開の分野が沢山あります。その中の一つに、組立製品の組立工程設計改善の問題があります。設計が完了して、総組立図と試作部品を前にした生産技術者は、自分の知識と経験を総動員して組立順序を決めます。これを原案にして、機械化する部分、治工具を準備すべき部分を考案するでしょう。目標は組立品質と組立コストの達成です。この過程は勘と経験の作業です。この作業は比較的短時間の内に済んでしまいます。それは、システマティックに最善の結果を得ようとする意図で作業が行われているわけではないからです。実行可能案が原案として出てくれば満足です。何故でしょうか?。

賢明な皆さんはもうお分かりでしょう。

理由は簡単です。時間がないのです。設計が完了するのはいつもぎりぎりです。しかし、もう一つの、簡単ではない、大事な理由があるのです。組立手順には無数の組合せの可能性があるのに、それを追求しようとする試み(思考)がないのです。この両者は関係があるどころか一心同体なのです。

もしも、設計部門が初期の設計案を完成した段階で、その3次元データを生産技術者に手渡してくれたとします。これは通常試作部品を造るはるか以前の時点です。このデータは仮想の空間では試作品と同じものです。手には取って見られませんが、コンピュータの中には形が存在します。そして、もしもコンピュータの中に作業台と工具と作業者がいたならば、曲がりなりにも作業が可能な筈です。ここで必要なものは作業者を思い通りに動かすソフトです。これはすでに市販品のソフトがあります。問題はそのソフトにどうやってインプットデータを入れるかです。

設計のアウトプットである3次元データを基に、試作品を作らないで、生産準備をすることをプロトタイプレス生産と呼びます。この考えには、まだ概念が提案されてから時間が経っていないので、厳密な定義はありません。しかし、進んだ企業は製品設計から工程設計までを一気につなげてしまおうと言う努力をしています。あるいは、後で試作品は作るにしても、設計が仮にでも完了した段階でコンピュータを駆使して、生産準備を始めてしまおうと言う努力をしています。少なくともこのことを実現すれば、前記で提起した「時間の無さ」の問題を軽減できます。このことを更に発展させて、(1)前述の組立ての順序を考慮し、(2)考慮する個々の可能な組合せを画像として取り出すことが出来れば、考察の範囲が広がり、プロトタイプレス生産の効率を最高なものに高められます[1]〜[3]。

まず、(1)の「組立ての順序」について考えてみましょう。組立型製品の工程設計を考えて見て下さい。仮に部品点数が10個あったとすると、組立上の制約条件が何も無かったとすれば、可能な組み立て方は10の階乗、すなわち3,628,800通りの組合せがあります。当然現実の場では組立上の制約(例えば、ベース部品、カバー部品、機能上の必要性など)がありますから、360万通りの組合せの中から良いものを選ぶことは考えられません。恐らく10通り位の可能な組立て順序が考えられます。それでは40部品ではどうでしょうか?。私の知っている具体例では、組立ての制約を考慮しても100万近い可能性が出てきます。その中には最善に近い案が100通り位はありますが、人間業では見付けられません。ところがコンピュータを使えばこれが一瞬にして出てくる可能性があるのです[4]。

通常の生産準備の場では、生産技術者はほぼ直感的に一組の工程順序が頭に浮かんできて、工程設計に入ります。セル生産にせよ流れ生産にせよ作業の順序を決める手順はおおよそ同じです。セル生産では数に制約がある設備を考慮しなければならず、流れ生産では生産量を考慮に入れます。この段階まで来ると、設計に対して注文を付けることは殆ど不可能です。もちろん、人間が直感的に決めるものは最適なものかどうかは知れません。特に部品点数が多くなったり、作業上の制約条件や工具、治具、設備の使い方に制約条件があれば、混乱したり失敗することもあるでしょう。それどころか、生産技術者には自分の好みや思い込みがあります。その結果、人間が思いつく候補手順は最適なものから大きく外れているかもしれません。しかし、この両者の違いを説明する研究が未だに発表されていません。結局、組合せを考慮するためには、設計情報から(A)組合せを割り出す方法と(B)割り出された膨大な天文学的な組合せを数十通りぐらいの組合せに減らす方法をどのようにして見付けるかが問題です。いずれも生産技術者の常識をコンピュータに教えることが鍵になります。

次に、(2)の「可能な組立手順の一つを取って、その動画をだすこと」を考えて見ましょう。コンピュータが何百万通りの候補手順の中から何十通りかの有望な候補作業工程を選び出し、それを仮想空間の中の作業工程として作り、コンピュータモニターの上に動画で示してくれたならば、どんなに助かるでしょうか[5]。しかも、設計が一時的にせよそ完了した直後のです。その後に設計が変更されても構いません。変更されたところだけを修正すればよいのですから。そうであれば、生産技術者の方から設計変更を依頼しても、設計者は嫌がらないでしょう。設計者と生産技術者が一緒になって、提案されている生産工程を見ることもできます。

上記のプロトタイプレス生産の方法論が完成するとどのような良いことが起こるかを考えてみましょう。まず第一に、生産準備の期間が短くなります。このことから多くのメリットが生まれます。すなわち第二に、生産技術者から設計者に設計変更のフィードバックをする時間が取れます。与えられた設計案に対する生産側からの提案ができます。第三に、膨大な組合せの可能性の中から、生産技術者の直感では見つからないような作業順序が発見できるかも知れません。よりよい組立性を保証する組立方法を実現するための生産技術的な課題を発見するかもしれません。斬新な治具の必要性を提案するかもしれません。第四に、生産準備活動を標準化することができて、方法論の進歩が可能になります。また生産技術者の技能を向上させ、養成期間を短かくできるでしょう。第五に、作業手順書を自動的に出すことができます。わずかな変更をしても、基のデータを変更してあれば、作業手順書は自動的に変更されます。

フィージブルな組合せを考えるのなら、ラインバランシングで使うプレシデンスダイアグラムを使えばよいではないか、と言われる方がおられるでしょう。その通りです。それも一つの方法なのです。面白いことは設計データから機械的に作る組合せの数とプレシデンスダイアグラムから作る組合せの数とでは、後者の組合せの方が圧倒的に少ないのです。それはプレシデンスダイアグラムを人間が作る段階で生産技術的な常識を盛り込んでしまうからです。このことは決して悪いことではないのですが、プレシデンスダイアグラムを作る手間が、部品の数が増えるほど、膨大なものになり、設計データから機械的に作る前者の方法にはかないません。

プロトタイプレス生産の方法論とコンカレントエンジニアリングの方法論とはどこが違うのでしょうか。プロトタイプレス生産の方法論では、最終的には設計と生産技術の間をデータベースで統一します。すなわち、設計と生産技術のデータベース間にリンクが取られて、両者の間には密接な情報交流を作れます。そのために設計と生産技術活動がほぼ同時期に同じデータを使って行われ得ます。コンカレントエンンジニアリングは基本的な概念であって、せいぜいできることは人間を一緒の所に集めておいて、情報の交流を密にしようという精神活動に近いものなのです。言い換えれば、コンカレントエンジニアリングには方法論らしいものがまだ確立されていないのです。


参考文献・発表
[1]篠田心治,川瀬武志,丹羽明,松本俊之,下澤一裕:
「PLP(Prototype-Less Production:試作品レス生産)の課題と実現について」,
デルミア ソリューションセミナー講演,2005.10.5

[2]篠田心治,丹羽 明:
「E&E(電機・電子)業界の設計−生産準備−製造に至るプロセスを効率化するDELMIA ENVISIONを活用した組立作業シミュレーションの自動生成システム−大学と企業の共同によるバーチャルファクトリーを利用した製造プロセス改革へのアプローチ−」日経BP社
日経デジタル・エンジニアリング , No.22 , pp.33-36, 2004.3

[3] 篠田心治,丹羽明,深澤大輔,深見和彦,齋藤慶,野阪知新,小倉康史,新行内秀央,松岡毅,市村貴宏,新宮拓真,高橋由起子:
“部品から完成品までの網羅的な仕事の代替案を表現・評価するバーチャル・ファクトリーの基礎的考察−手を用いた組立作業の場合−”
日本経営工学会誌,Vol.53,No.2,pp.139-149(2002)

[4]篠田心治,丹羽明:
“組立品の接触関係分析と全ての組立順序の導出方法−組立品の構造が一軸構造の場合−”
IEレビュー誌,Vol.45,No.3,pp.73-80(2004)

[5] 篠田心治,丹羽明,深見和彦,深澤大輔,星野正人,赤見勇雄,小林夏樹,佐藤秀臣:
“3DCADデータを用いた新たな生産準備プロセス構築の基礎的研究”
IEレビュー誌,Vol.44,No.4,pp.73-80(2003)
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